こうなりたい、ああなりたいと思ってはいても

なぜわたしたちは同じ毎日を繰り返してしまうのでしょう。

 

ああ、今日も意味のない打ち合わせだ。

また山田が持論をまくしたてて

承認欲求を満足させようとするだろう。

それに対して俺は何も言えず、

くそまずい売店のコーヒーをすすってやり過ごしているだけなんだ。

受付の新卒の女子は俺を馬鹿にしている。

いつも哀れんだ薄笑いであいさつするもんな。

 

そして、今日もまたそのようになる…

そして、ますますそのように生活や人生そのものさえも

そうだと決め込んで、そのように人生を生きるようになっていく。

 

もともと毎日はそうではなかったはず。

山田さんはただサービス精神旺盛な青年なのかもしれないし。

受付の女子には、すごく期待をされているのかもしれない。

山田さんとは楽しく成果や未来のことを語り

受付の女子とは軽口を叩き合う

そんな毎日を過ごすこともできるはずだ

 

しかしいつのまにか

そうではないものにしてしまっている。

誰からの強制でもなく、自分自身でそうしてしまっている。

たくさんある可能性の中から、

わざわざそのような現実を選択してしまっている。

 

そう。

そのように前もって、自分が選択しているのです。

誰に強制されたわけでもない。

現実は、自分が選択していったことの一面でもあります。

(全てがそうというわけではなありません)

 

現実が辛すぎる、不本意すぎるので

直視したくないから

逃げたいから

何かのせいや誰かのせいにしてしまっているのかもしれない。

 

しかし、自分がそう選択しているという事実から逃げて

何かのせいや誰かの責任にしているのは

自分自身に現実を創り出す力がない

自分が主導になって人生を生きていないということを

わざわざ宣言して態度で示しているようなものだから

自分の人生がうまくいくはずがない。

 

そうは思わないですか?

 

無意識は自分自身の態度や言葉をとおして

現実にそれを表していきます。

 

いまの自分がうまくいかないことが

山田さんの存在や売店のくそまずいコーヒー

受付の女子のせいにしているのは

 

自分自身より、山田さんや受付女子に力があるというのも同然。

自分の人生を自分以外の誰かに預けてしまっているということになる。

 

そんな人間が、自分の思いどおりに生きることができるはずもない。

だって自分は非力だと宣言しているのですから。

 

でも、気づかずにそうしてしまっているのかもしれない。

気づけなくなっているほど

自分に選択する力があることを忘れてしまうほど

状況に巻き込まれ過ぎてしまっているのかもしれない。

 

大丈夫。

気づけば変えられる。

 

人や出来事のせいにしないで

それって自分の考え方や選択次第で、実はどうにでもなるんだな

ということを知るだけでもいいから。

 

知るだけでもいいから。

汁だけでも美味しいから。

 

そして….

 

山田や受付女子から

自分自身の力を取り戻すのだっ!!:*:・( ̄∀ ̄)・:*: