人類の遺産

2020.01.04

虎は死して皮を留め、人は死して名を残すというが
お正月なので、このことを量子場の観点から考えてみた。


物理次元の肉体は若いうちに鍛えられると、とんでもないことができるようになる。
しかし、その個人的な能力は年を追うごとに失わざるを得ない。


権力のお金や権力は中年で大きなパワーを持ったものに成長することができるが、それらを死が全て奪い去る。

意識に働きかける修行者は死をも超える光明に至るらしい。
量子の世界は、意識と結びついているがために3番目の修行者に近い。
そのため意識と心の世界である量子が結びつき、
もし、老化が進み目や耳、身体が病んだとしても
その成長にとどまる所はない。


この中で、人は死して何を残すか

量子場的にはこのようだ。

物理次元での身体の限界を越えようとする意志は、集合意識の中に遺伝子を残し
お金や資産は、後世にその力を残し
意識の世界は、この世界に芸術としての作品を残す


これらは、等分に価値ある人類の遺産だと思う。

そんなところからのオリンピック
彼らが人類に残すのは
人類としての限界を超えた遺伝子なのだろう。
2020.01.04 13:47 | 固定リンク | 思いついた事

思いと合致

2020.01.02

今年は、東京オリンピックが開催される。
準備は着々と進み、素晴らしい天才たちが大勢日本にやってくる。


オリンピックは古代西洋に端を発し、現代のオリンピックはフランスの教育者ピエール、ド、クーベルタン男爵によって1896年に第一回大会がアテネで開催されたらしい。

そのオリンピック憲章の根本原則に
オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高め。。。。


そのように書いてあるのを読んでいて、ふっと思った。

オリンピックは日本で、もっと進化するだろう。
もちろん日本も。
日本人は昔から、肉体的にも物理的にも豊かではなかったかもしれないが、意志や精神性は他の国を圧倒するほど高かったと思う。


その日本人が今、物理的にも進化し西洋の勇気のある天才的な人たちの思いと合致している。

きっと、日本の精神性が外国の多くの天才的な人たちと出会い、世界中が変化する。そんな時期にグッドタイミングでオリンピックがやって来ている。

お呼びじゃないだろうが、量子技術も準備万端だ。
2020.01.02 01:34 | 固定リンク | つぶやき

超太っ腹

2019.12.30
無駄遣いは役に立つ
意識は無駄遣いの常習犯だ。
太陽は意識そのものにそっくりだ。
両方とも一瞬たりとも休むと世界はただ消え去る
それなのに、太っ腹だ。


太っ腹で無駄遣いの太陽
と欲張の人間
その間で繰り広げられるドラマ。


そのドラマを神のように見つめる者
そのドラマの中で欲にかられ我を忘れる者。
私たちはその中間だ。


その中間で優秀な人間だけが、幸せに生きる権利が
あるかのような資本主義世界


半分は真実であり、もう半分の嘘だが、
嘘の半分に思いっきり染まっている人間が、
この世界で説得力を持っている。


大自然から見ると、そのことはどうでもいいのだが。

問題はそのドラマだ。

私たちは太陽を背に受けて生きているが
同時に、その太陽の背後に意識という力を
持ち合わせ、
もう一方ではすぐにも
空前の依存社会がやってくる。
その社会は、合理的な倹約人生を持ってくるが、
その得するかのような論理が私たちの
意識を奪い去ってゆく。


このところは少し複雑だ。
私たちの意識が、太っ腹であるなら、その意識は太陽に近ずく。
逆に、理屈や損得ケチ意識に慣らされてしまうなら必然的に意識を手放す。


意識が量子を生み出している。
その意識を失うならどうして裕福になれる?


支配的な性は、自身を倹約しようなどとは決して思わない。
社会から利益を汲み上げ、同じような仲間とつるんでさらなる悪巧みを企むことが彼らの趣味だ。


だから、ここにトリックがある
私たちは利口者になったつもりで倹約するが、
それは、悲しいかな思う壺なのだ。


ではどうしたらいい?

簡単だ。
便利さと倹約が豊かさである
その論理を切り離せばいいだけの話だ。


だが、そうはいくまい。
途方もなくリッチな量子が近くにいることさえ
知らないのだから。。。。


昨晩は、ラドン放射能関連の社長や大学教授、元官房長官などの超おじさんグループに歓待を受けたが、彼らは超太っ腹だ。
2019.12.30 11:46 | 固定リンク | 思いついた事

 

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