暗中模索さ

2019.12.18
スピリチュアル系のお話のなかで
素晴らしいことがたくさんあるが
よく理解する必要がある。


例えば、
禅でいう全ては空である
宗教でいう全ては愛なのだ


それは真実ではあるだろう。
しかし
初めからわかったように
そのように理解してしまうと
何も起きない。


歪んだ考え方や、無謀な愛着が体験の中で消えてゆく
ことで、まともな空や愛の可能性がある。


もし、修行僧が求めてやまない空や、
誰しも求めている真実の愛が
初めからわかっていたら
それでおしまいだ。


自分の空虚さは、現実感の不足だと気がついた時
その空虚さがよりまともなものを引き寄せる。


自分の愛は、結局自分の都合だと気がついた時
その愛が、よりまともな体験を引き連れ
まともに変貌していゆくことになる


そして、
いつしか空そのもの
いつしか愛そのものしか残らない時が来るかもしれない。


何者にも汚されていない
純粋な空や愛だけ残る時


その時、自分自身を含んだ未知の扉が開くのだろう。

自分の子供や周りにおせっかいするのが
愛だと思い込んではばからないとしても


その体験で、それは自分の純粋な愛ではなく、
自分の幾分かの都合だと気がついたところで
愛の方向がもう少しまともなものに向かう。


その体験をさせないような、仕組みが
社会的な常識の中につくられている。


みんな自分自身を知ってるよね
みんな愛を知っているよね
みんなセックスを知っているよね


その真価を本当には知らないのに
知ってるという集合的な常識の嘘だ。


進化しようにも、始めから分かりもしない倫理や説教を
飲み込んでしまうと、何が何やらわからなくなる。


そんな私も
暗中模索さ。
2019.12.18 13:54 | 固定リンク | 思いついた事

 

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