赤ん坊は泣く叫ぶ

2019.12.03
私たちは多かれ少なかれ八方塞がりの中にいる。
そのような世界に生まれ出たからだ。


では
どうしてそんなところに生まれたんだ。


価値があるからさ。

もし、何もかも自由自在だったらゲームにもならない。

赤ん坊が子宮の中でずーっと漂っていたら、
自由ではあるが、自由は知り得ないだろう。
完全な依存状態で自由は論外だ。


そんな漂ったところから、この世界に生まれ出たとき
赤ん坊は泣き叫ぶ。
なんだこの世界は?


八方塞がりだ。
だが、この時莫大とも言える意識を持っている。


その力を使って、呼吸という自由、そして目が開く。
生まれて初めての自由の味だ。


幸か不幸か
少しずつ自由は増すが、
逆に莫大な意識を手放さざるを得ない状況がやってくる。


幼児の頃、時に親の癇癪
子供の頃、時にいじめによる不安
大人になった頃は、評価
社会に出た頃、時に常識の罠
中年に近ずいた頃には、老化の波


この延長にいつか
再び
息がつまるような八方塞がり状態がやってくる


この危機を、救う突破口は何者だろうか。

それは、、
同じ、自分自身の意識なのである。
それ以外にはない。あり得ないのだ。
生まれた時に、意識がないならこの世界の八方塞がりを超えて生きることはできない。
いくら消えかかった意識であっても、
この世に生まれた時に、持ってきた意識は、全知全能なのである。


では、その意識はどこにある?

意識は身体の内側にも外側にも
生まれた時と同じようにある。


このことに明確に気がつくことができるなら、2回目の誕生を迎える。
量子場調整は、2回目の誕生を助ける産婆さんのようにあるが、誰も気がつかない。。。       
2019.12.03 01:41 | 固定リンク | 思いついた事

いかん、いかん。

2019.12.01
この世で一番難しいのは、悪習を消し去る事だ。

新しい習慣をつくることは、そう難しくはない。

鼻くそほじるような癖は、叱られるとそのうち消える。
タバコや酒は、病気になるとやってられない。
酔っ払い運転は、ひどい目にあうと続けられない。
それらは、可愛いものだ。


しかし、悪習となるとそう簡単ではない。

悪習は、魅了的だから。
妙な心地の良さから、離れられない。
まさに腐れ縁のようなものだ。


それ以上に、それが人生だと思ってしまうなら
どうして、自分自身を剥ぎ取ることができる?


例えば
人の不幸は蜜の味のような、心のくせ
幸せは、優越感にあるという感情
人の悪口を言い回る喜び


などなど

この気がつくのも難しい真実が
筒抜けになっている。


量子の世界では他人よりも自分を騙せない。
その悪習が、裏返って人生に姿を現している。


そのことに気がつかないがために
輝かしい個性を持った、自分自身に会えないのだ。。。


そう言っている私も
「気をつけなくっちゃいかん」
と自分に言い聞かせた。。。
2019.12.01 01:18 | 固定リンク | つぶやき

 

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