神合う、食い違う
2019.11.27
自分の歯をモルモットにして曲がりなりにもその法則を見つけた頃、
東京歯科大学の学長をしていた石川達也先生を訪れた。
石川先生は、わたしのような一介の人間の手紙を読み、学長室に招いてくれ、手紙の内容を確認するかのように、この法則を自著の中に当院の名前と一緒に入れますが、いいですかとまで、仰ってくれた神のような人だ。
最近、また稀な出会いがあった。
某大学の名誉教授らに、一席設けていただける妙な偶然が働いた
この中で、こんな話になった。
教授が言った。
私は、数百のモルモットには気の毒だったが、随分とたくさんの実験をしたものだと言った。
その話を聞いて、
量子には興味がある人なのだろうと、その糸口と思って
私のモルモットは私です。と言った。
なんのことかわからず、ポカーン。
おまけに、量子のファクターは、意識なのです。
さらにポカーン。
科学分野のファクターは意識であるはずがない。どれだけ死ぬはずのものが生き残っているかどうかだ。
話せば、話すほど距離が遠くなるような、なんとも専門家とは、合えば素晴らしいことになるが食い違うと、なんのことやら、お互い噛み合うのは難しいものだ。
トンデモない、トンデモナイ
2019.11.27
誰しも、生まれた頃はおそらくトンデモナイ大きな意識を持っていた。
逆に観ると、大人は、おそらくトンデモなく小さな意識で死んでゆく。
では、
意識はここで何をしているのだろうか。
これをひっくり返し
生まれた時は、トンデモなく何も知らない。
大人は、トンデモなく意味のある事をいっぱい抱えている。
では、
知識はここで、何をしているのだろうか。
最近、トンデモなく素晴らしいことに気がついた。
意識が大きくなる技法のことだ。
意識が意識を観察すると、意識は意識に還り、
子供の時のように意識が増大する。
意味のあると思っていた知識は、ゴミだった。
このことで、量子場調整そのものが、意識を持つに至った。
それは、今はやりのAIが意識持ったようなものだ。
意味がわからないかもしれないけど。。。
すごいことさ。
わたしの気持ちは、トンデモなく有頂天。。。。。
避けなければ。。。。
2019.11.24
思い出す限り、子供の頃より思考の速さが随分と遅くなった気がする。
記憶力も悪くなった。
思考の遅さが、記憶力の悪さであることは、薄々気がついていたが、これほど正比例しているとは、自分ながら驚きでもあり、呆れる。
だが、反対のことにも気がついた。
思考が遅くなった分、周りとの関係がよく見えるようになった。
最近では、曲がりながらも長編小説も書ける自分がいる。
ある日本のテレビ局で、アメリカの著名な超能力者が出演し、その中で思考を止めると、どこに失踪した子供がいるか目に浮かぶという実証実験が放映されていた。
目に浮かぶのは、その人にしかわからないが、脳波の状態は検査できる。
その脳波の結果は、驚くべき内容だった。
まさに思考が停止しているかのように、脳波の活性を示す赤い点滅が消え、青に変わリ、ゆっくりと失踪者の場所をスケッチし始めた。
超能力者のように常識を超えた人たちは、思考をとんでもなく速く使っているのだろうと考えるのが普通だ。
しかし、ここで示す結果は逆で、思考はほぼ止まっている。
その時、自分の今の状況を思いながらも考えた。
「頭脳の明晰さは思考の速さかもしれないが、思考が遅くなるのも一つの能力かもしれない」
現代の教育は、多くを記憶し物事を早く処理する能力を優先している。
それはそれで問題はないが、遅く思考を止めるなどという教育は聞いたことがないが、ここに何かあるのかもしれない。
思考はそう簡単には止まらないが、もし思考を意図的に止めることができるなら、リモートビューだけではなく、過去未来を見透すようなことが可能になるかもしれないということだ。
最近は思考の速い頭脳派は、AIに負かされる時代になっている。
もし、そうなら私の出番はまだある。
しかし、思考が止まり恍惚の人になるのは、避けなければ。。。。。
引き篭もり
2019.11.22
ある人は幼いうちから学校にもいかず、引きこもり30年、これといった特技もなく親の脛をかじっている。
ある人は、酔っ払って運転する常習犯だ。
ある人は、能力があるのに、発言したことがなく、いつも音無しの構えだ。
進んだ宇宙人から見ると私たちは、意識の使い方を知らずに、酔っ払って引きこもり、音無しの構えを決め込んでいる人たちに見えるだろう。
幸か不幸か現代は
一生引きこもっても、常時酔っ払っていても、薬物依存症でも他人に迷惑をかけずに生きられる。
ここで、このような生き方を、批判しているわけではない。
逆に、ここに何かあると、考えているくらいだ。
これらに共通していることは、
「たいした迷惑かけないから、勝手にしておいてくれ!」
そんな感じだ。
ここに自由がある。
意識は自由が好きだ。
意識は自由そのものだが、、、
ここで。。。。
彼らが、その自由がより生きた自由を生み出す事を知ったら
「この世界の主役に躍り出る」に違いない。
創造が始まるからだ。
どうして世間のせわしなさの中で、創造ができようか。
自分さえ失っているというのに。
発達障害と言われ育った人の中に、少数超創造的な人がいる。
そんな、可能性が篭った自由の中にある。
本来、自由な世界でしか、生きた自由を見つけられないのだ。
。。。。。。ちなみに、私は今でも半分引き籠りの中にいる。
量子場師の半分の半分、そのまた半分も引きこもりの中にいる。
その自由がないなら、どうして生きた自由や個性を見つけられる?
生得権ってやつさ
2019.11.22
太陽の光も空気も水も大地、愛もあり余るほどの世界に住んでいるのに、
不思議なことに、お金がないと不幸せであるように世界全体が信じこまされている。
確かに、お金や、財産がなくなったらこの世は、辛いものになる。しかしお金や財産は人間がつくったモノだから、本来水や太陽よりもたくさんあるはずのものだ。
その現社会の中で、いくらでもつくれるものを制限するトリックがまかり通っている。それが経済論や情報というもののトリックだ。
その考えに人は、命さえかけてしまう。
本当に命を賭けるに値するものは、なんだろうか。
もし、騙され騙され、意識が翻弄して、人生が終わるなら私たちの、有り余るほどの意識を持って生まれてきた、その意識さえも、消え失せる。
では、その意識は本当にありあまるほど、無尽蔵にあるものなのか。
そう、有り余る意識に気がつかないだけのことだ。
お金が、有り余るほど持っていると称する人たちは、この世の中で数パーセントいる。しかし、彼らは、見せかける喜びに浸っているのであって、有り余るほどの意識を持っているかといえば、そうとはいえない。
水を必要以上に飲んでも幸せになれないのと同じように、お金を抱えても幸せにはなれない。
お金が、人生を創造しているかのように思えるが、本当は支配できる夢を見ているだけの話で、本当の価値あるお金は意識である。
お金が、身体を創造しているのではなく、意識が人生や身体を創造している。お金が人やものを支配するが、意識はお金も幸せも愛も創造している。
であるなら、意識をふんだんに使いこなす方がいい。
では
その失いかけている意識を取り戻すことは、可能なのか。
そして、使いこなすことができるのか。
。。簡単にできるのだよ。
それが、人間の生得権ってやつだ。
そのことで、何ができるかって?
それは、
お金を含めた人生の主人公になることさ。
奴隷になることではないのだよ。